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[最終更新日: 2020年12月14日]

シルクから航空機へ。 歴史が紡ぐチャレンジスピリット

松岡株式会社/技術職

シルクから航空機へ。歴史が紡ぐチャレンジスピリット

松岡株式会社

明治維新後に旧庄内藩士たちが開墾して以来、鶴岡は生糸、絹製品の生産地として知られるようになった。鶴岡シルクとして現在でもその歴史は受け継がれるが、その松ヶ岡開墾地を母体として創業されたのが松岡製糸所。それが今回話を伺った松岡株式会社の前身である。現在の松岡における中心事業はギャレー、ラバトリーなどの航空機内装品製造。柔軟かつ大胆な変化を遂げた会社だ。シルクから航空機関連事業へ。創業から130年という歴史のなかで常にチャレンジを続ける松岡に息づく想いとは。

松岡株式会社 事業概要

鶴岡は現在でも続くシルクの生産地。当時の鶴岡町に松岡製糸所を創設したのが松岡株式会社の始まり。創業は1887年。1926年に開かれたフィラデルフィア万博(米国独立150周年記念)に生糸を出展し、大賞を受けるなど、その確かな技術力で事業も順調に拡大をしていった。大きな転換期はふたつ。ひとつは1983年に電子部門、電器部門を新設したこと。時代の変化によりシルク関連事業の売上が落ちるなか、プリンタなどの電子機器部品の製造に事業を大幅にシフトしたのだ。次の転換期は現在の主力事業である、ギャレーやラバトリーなどの航空機内装品製造を始めたことだ。これが2006年。現在代表取締役社長を務める氏家昇一が就任してから、次なる中心事業をと模索したのちにスタートした新事業だった。金型製造などで培ってきた技術力と絹糸産業時代から続くモノ創りへの想い、氏家の言葉を借りれば「愚直に良いものを創るんだ」という想いがこの事業を成功に導いた。
今後も航空機内装品事業が拡大していくと新たな設備の導入や、技術力の向上に力を入れるが、これまでの会社の歴史同様に航空機内装品からドラスティックに事業を展開することも厭わない。シルクから電子部品、そして航空機内装品へと事業の中心を変化させてきた会社は今後も確かな技術力と強い想いのもと、チャレンジを続けていく。

明治期に製糸所として創業

ギャレー(厨房設備)やラバトリー(化粧室)といった航空機内の内装品を提供している松岡株式会社。航空機という特殊な空間における設備なので、高い水準のものづくりが求められる。それらの水準をクリアする技術を持ち、金属加工から組立までを行っている会社が、シルクの生産もしていると言ったら驚くだろうか。実は今回話を聞いた本間裕次郎、五十嵐悠太、河村万智の三人も就職活動をするなかで、シルク事業のことは知ったそうだ。

「私は新卒で当社に入社しました。学生時代に就職活動をするなかで松岡という会社を知り、航空機関連事業に興味をもちました。そのときに工場見学が行われて自分も参加しました。そのときにこの町にこれだけの機械を持った工場があるんだと驚いたことを覚えています。その技術を持った会社の始まりがシルク産業だったことにも驚きましたが……」と現在生産管理グループで働く本間は言う。

松岡株式会社の創業は130年以上前の1887年、明治20年のことだ。明治維新後に旧庄内藩士が新たな産業のためと開墾し鶴岡の主産業となった絹織物。その松ヶ岡開墾場を母体として創立された松岡製糸所が現在の松岡株式会社の前身なのだ。

シルク事業から電子機器事業へ

絹糸の生産事業は順調に拡大をしていった。1926年に開かれたフィラデルフィア万博(米国独立150周年記念)では生糸を出展し、大賞を受けるなど、その技術力も高い評価を受けた。1942年には株式会社に改組、その後社名を松岡協同製糸株式会社と改称し、山形県村山市の村山工場に婦人服製造部門も新設した。現在でも日本を代表される絹糸「松岡姫」などを生産している。2017年に日本遺産に認定された鶴岡シルクに使われる絹糸は現在でも松岡で生産されているものを使用している。驚くのは世界遺産に登録された富岡製糸場と同型の自動繰糸機が現役で稼働していることだ。そのため、工場には頻繁に見学、研修のため人が訪れるという。

だが本当に驚くべきはその歴史ではない。130年という歴史のなかで行われてきたドラスティックな事業変革のほうにこそ驚きがあるのだ。さきほども述べた通り、松岡は絹糸生産で高い評価を受け順調に事業を拡大していったが、婦人服製造部門を設立した11年後に「電子部門」と「電器部門」を新設している。当時すでに絹糸生産業として100年近い歴史を持っていた会社が電子機器製造へ舵をとるというのは大胆な変革であったはずだ。1990年にはシステム部門を新設。時代に即した形で事業を大胆にシフトしていくチャレンジが成功を収めた。代表取締役社長である氏家昇一に行った事前のインタビューで「職人の心とでもいうべき気質は、確実に松岡という会社のモノづくりに息づいています。愚直に良いものを作る。それが長いあいだ受け継がれてきた信念です」と話してくれた。たしかにそのモノづくりへのこだわりは成功のひとつのキーだったのかもしれない。

そして航空機関連事業へ

氏家は2004年に就任。そのときすでに電子機器部門の将来を不安視し、新たに中核をなす事業を探していたという。電子機器や金型製造などの経験とノウハウを活かし、例えば自動車メーカーなどの事業も視野に入れたが断念。そんなとき山形県の商談会で現在の主力事業となる「航空機関連事業」と出会った。そしてまたドラスティックに変革を起こしたのだ。

当初は航空機関連事業に乗り出すことには反対されたという。それでもこれまでの経験が活かせる分野であること、そして将来性を見込んでスタートに踏み切った。もともと金型製造の技術とノウハウはあったが、このままの設備ではとても製造ができないとマシニングセンターなど設備投資もした。3次元CADの技術や設計を生産に直結するCAM技術、そして最新の機械と職人技が作り出す精密加工技術、それらを融合する生産管理技術とノウハウで、厳しい条件をクリアしボーイング787のギャレーやラバトリー製造に参加することとなった。現在では月産14機のボーイング787のうち5分の1ほどの部品、製品を提供するまでとなった。そのほかエアバスなど世界の航空機の内装品を手がけることになり、松岡としても売上高の70%ほどを占める中核事業に成長したのだ。

航空機のその先へ

実際に松岡を「航空機関連事業の会社」と見る人も少なくない。最初に本間の就職活動での言葉を引用したが、五十嵐も同じく松岡を航空機内装品の製造をする会社と見ていた。

「私は秋田大学で工学を学び、そのまま秋田県で製造業に就職しました。その後、出身地である鶴岡に帰ろうと思い仕事を探している中で松岡と出会いました。航空機内装品の製造業ということで大学で学んだこと、製造業での経験が活かせるのではないかと考え、深く松岡について調べました。その歴史のなかでさまざまなチャレンジが行われていて、シルクから航空機にシフトしたことを知り、もしかしたら航空機事業のその先も広がっていくのではないかとさらに興味を持つようになりました」

五十嵐は入社からまだ2年目。そのため「わたしなんかまだまだ経験の浅い人間が」と謙遜しながら話していたが、「それでもいろいろ意見を聞いてくれる。松岡は会社の歴史がそれを証明しているように、前を向いた積極的な意見ならばそれをきちんと聞いてくれ、可能な限り反映してくれる。そういう雰囲気がある職場です」と言っていた。

それについてはほかの本間、河村のふたりも同意見だ。「たしかに自分の意見を聞いてくれるというのは社風としてあります。さらに自分が『やりたい』と言ったことに対して、それならまずは動いてみたらいい、という環境はありますね」と本間は話す。河村は「上下左右の垣根がないという感覚はあります。同じ部署内でのコミュニケーションが闊達というだけでなく、部署間でのやりとりも非常に頻繁に行われるので、会社一丸というのでしょうか、みんなでひとつの目標を持っているという雰囲気があり、仕事をする環境としてはとてもいいと感じています」と言う。

また河村は「女性だから、といった雰囲気もまったくありません。実際に社員比率は女性のほうが多く、女性の役付き比率も40%近くあるので、そういう前時代的な感覚はまったくない会社だと思います」とも話してくれた。そのほか会社としても女性の活躍を応援する体制をとっており、女性の活躍推進・仕事と家庭の両立支援に積極的に取り組んでいる企業として、やまがた子育て・介護応援いきいき企業「優秀(ダイヤモンド)企業」の認定も受けている。

今後も松岡の航空機産業は年率5%の成長を見込んでいる。そのため新たな設備の導入や、技術力の向上に力を入れるが、これまでの会社の歴史同様に航空機内装品から新たな事業領域へと進むこともあるかもしれない。130年という歴史があるにもかかわらず、その歴史に固執せず未来の可能性や挑戦を応援するような社風が息づいている場所だった。

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