【LIFE】庄内の暮らし 【LIFE】庄内の暮らし 人々

磯釣りに適した庄内の海。 藩士たちは「釣道」として釣りを嗜み、 庄内竿の伝統が地域に受け継がれた。

トキワ釣具店 常盤 敬一

皮を残した竹を燻し、磨いてまっすぐに調整しながら製作する庄内竿。藩士たちの嗜みである「釣道(ちょうどう)」として磯釣りが親しまれていた庄内藩では、細い「苦竹」を用いて一本の竹を加工した釣竿が庄内竿として受け継がれてきた。トキワ釣具店を経営する常盤敬一は、45年にわたって庄内竿の職人として手作業で竿制作を続けてきた。

「中心はクロダイなんですよ。クロダイを釣りましょうっていうことで、300年以上前から庄内竿は使われていたの。夜中の1時とか2時に長い一本竿を肩に乗せて、加茂とか吹浦だとかの釣り場を目指して歩いて行ったわけ。明け方に着いたら魚がいそうな場所を探して、陣取って釣りを始めた。釣り場で『勝負』をして、終えてからは魚の獲物を披露しながら一献を酌み交わしたっていうね。そういう文化が江戸時代の士族に始まって、明治から大正にかけて庶民に普及したということです」

子どもの頃から釣りに親しみ、竹を買ってきて見よう見まねで釣竿を作っていた常盤は、25歳で大山に住む釣竿職人の工房の門を叩いた。弟子入りすると朝から晩まで竿づくりに専念し、休みがあると別の職人に話を聞いたり、各地であらゆる釣竿を見たりと研究し、伝統的な技術を自分で選別しながら編集して自分で制作プロセスを確立させた。

庄内に自生する苦竹を用いた一本竿

「庄内はタケノコが有名ですね。春になると孟宗竹で孟宗汁をつくります。300年以上も昔、ある藩士が春先にタケノコを食べてみたら苦かったものだから、『苦竹だ、これは』となって、それを放っておいて3年も経ったらヒューっと上に背ばかり伸びていったらしいんだ。それが竿にちょうどいいとなって、生まれたのが庄内竿の始まりだと言われています。もうずいぶん昔の話だ」

庄内に自生する苦竹を使い、藩士たちが一本竿を自作してクロダイ釣りを競い合ったとことから庄内竿の伝統はスタートした。今では持ち運びのことを考えて、列車や車にも載せられるようにいくつかのパーツに分かれている“継竿(つぎざお)”になったが、かつては1本竿であることが当然だったのだ。

「今でも1本竿でないと庄内竿ではないという人もいます。厳選した苦竹を4〜5年から10年ぐらい陰干しして、今はカッターだけど、昔は小刀を使って竹の節を取ることから竿づくりの作業を始めていました」

熱を当て、圧を加えながら竹をまっすぐにならす。そして、中の節をピアノ線でくり抜いて、釣り糸を竹竿の外側ではなく内側に通すこと。そうした構造と1本竿のしなりと強さが、庄内竿の特徴だ。

「このバーナーも耐火煉瓦を使って自分で改造したんです。何回も繰り返し火をかけて、圧を加えてまっすぐにしていくから、時間がかかるんです。昔は炭火でやっていたからもっと時間がかかったけど、今でも何回も火をかけ直すから、干し終えた竹を使って作業を始めてから1本の竿を完成させるまでに10日間ぐらいはかかります」

竿づくりの試行錯誤は今も続く

かつては藩士たちが自ら竿を作り、その釣果を競い合っていたのだから、その竿づくりの段階から競争は始まっていたと言えるだろう。

「無心にならないと魚は釣れない。精神統一をする。釣竿を垂らしたら、穂先をずっと見てるでしょう。魚がかかってグーっと引かれた時に、スッと竿を上げないと一瞬で持っていかれてしまう。だから精神の統一、集中が必要です。それで釣りの『道』、『釣道(ちょうどう)』と呼ばれるようになったんでしょう。穂先の動きをじっと見て、一瞬の動きを見逃さない」

竿づくりの技術を受け継ぎ、庄内竿を持って岩場でクロダイを釣り続けてきた伝統を語り継ぐ。庄内竿職人の常盤敬一が考える仕事の極意とは?

「すべての仕事に必要なのは創意と工夫。目的を達成するためには創意工夫が必要で、そこから自分で生み出した考えをまとめて、自分のやり方を見つけていく。釣竿を作るのは一生の勉強ですよ。今も試行錯誤をしています」


トキワ釣具店 常盤 敬一 トキワ釣具店 常盤 敬一

1946年、鶴岡市生まれ。釣り好きが高じて25歳で大山の庄内竿職人に弟子入りし、同時に各地に伝わる釣竿を独自に研究し、庄内で唯一の庄内竿職人として制作を続けている。


トキワ釣具店

山形県鶴岡市青柳町37-16

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